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金正日が愛した女   (落合信彦著)‏ [ノンフィクション]

読み終わって最初に思ったのは「この内容は本当なのだろうか?」ということ。

何せあの金正日が。。。

実はこの本は落合信彦著とは知らずに買った。

店頭にあり、ちょうどかの国の総書記交代のニュースでもちきりだったので、
少しは知識を持っておくべきと思い、ノンフィクションとの認識で購入。

読み始めて、非常に面白いのに驚き、表紙を再度見てみたら落合氏だったというわけだ。

これが本当だとすると、今までに明らかになっていない驚くべき事実が多数ある、ということになる。

なにせ、かの国に革命をもたらす意図がある内部からの情報だからだ。

と、言うよりもここに出てくる記者の取材は、当人にも最後までわからないように情報源である革命を目論んでいる一部によって巧妙に仕組まれたシナリオだったというのだ。

一方では、これだけのニュースが世界でまったく出てこないことを考えるとフィクションなのかな、とも思う。

もちろん本文中にその理由は記載されているとしてもだ。

とは思うものの、実名で描かれている点や、かなりの詳細に至る点などからは、真に迫っているなという印象だ。

結論は虚実ない交ぜといったところだろうか。

どちらにしても読み物として非常に面白く、衝撃的であることは間違いない。

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絵画の迷宮   (北川健次著)‏ [ノンフィクション]

作者は「銅版画とオブジェの第一人者で、美術評論も手がける」方だそう。

ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の謎、フェメールと謎の人物レーウェンフック、そしてスピノザが織り成す不思議、ピカソ・ダリ・デュシャンの共通する舞台などが描かれる。

作者は詩人でもあるようで、感情的な詩的表現も多いが、大胆にもレオナルド・ダ・ヴィンチを「性同一性障害」と位置づけるなど、素人でも非常にたのしめる。

また写真や挿絵も多くわかりやすい。

ダ・ヴィンチに関しては先日ロワールに行った際、本人が晩年すごした古城の資料館でも見たが、
やはり「天才」であることは間違いないと思う。

絵画などの美術だけではなく、現代に通じる武器や、乗り物などその才能は限度を知らない。

彼を表す際よく使われるが「怪物」という言葉がよく似合うと思う。

フェルメールは個人的にも好きな画家だ。

「光の魔術師」といわれるフェルメールの「光」はどこから来たのか。

その答えがフェルメールの「地理学者」という作品にも描かれているレーウェンフックに関係がある。

「真珠の耳飾りの少女」は以前ルーブルかどこかで見たような気がするが(うそかもしれない)、所蔵はオランダ・ハーグののマウリッツハウス美術館だそう。

知らなかった。

同作品は日本を含めかなり世界を旅しているようなので、事前に確認しなければ危険だが、
それほど鑑賞者も多くない(多分)ハーグにこの秋の間に見に行こうと思う。

フェルメールに限らずヨーロッパの画家が光への渇望を描くのは、ここに住んでみるとよくわかる。

夏は短く、冬は長く寒い。
ちなみにここドイツは早くもヒーターが必要な日が出てきた。

実際にヨーロッパ人は女性も含め少しでも太陽に当たろうとする。しみなど気にしない。

夏のテラスなど、日本女性は直射日光があたるところは避けたがる人が多いが、こちらでは日のあたる場所から埋まっていく。

そして南仏やイタリア・スペインにあこがれる。

ピカソといえばキュービズムだが、ダリ・デュシャン、そしてピカソがこよなく愛した町がスペインのカダケスという小さな漁村だ。

車がないと行けない様な小さな町。

ここにくる旅人といえばダリの家を訪問する人くらいだ。

そして、この町は町そのものがキュービズムなのである。

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白磁の人   (江宮隆之著) [ノンフィクション]

この時代には稀有な本物の国際人・淺川巧を描いたノンフィクション。


民族運動の父と呼ばれる柳宗悦に多大なる影響を与え、哲学者の阿部能成は彼の死を「人類の損失」とまで記した。

日本が朝鮮(今の韓国)を併合して4年後の1914年、淺川巧は林業技師として山々を緑に戻す指名で朝鮮に渡る。
と、言っても荒れ果てた山々は日本・ソ連による伐採によるものだ。

軍はもちろんのこと日本人のほとんどが朝鮮人を蔑視し、言葉を含め日本の風習や価値基準を押し付ける時代。

結果、ご存知のように今も彼の地では日本語を話す老人は多い。

そのような時代に、彼は朝鮮語を学び、白磁に代表される朝鮮の文化や工芸品の素晴らしさを見出していった。

日本人・朝鮮人のわけ隔てなく、誰にでも穏やかに平等に接して、そのことで日本軍の兵隊などに虐められる様なことがあっても生涯そのスタイルを貫いたのだ。

一部の「朝鮮寄り」が気に入らない日本人を除き、彼に接するすべての日本人・朝鮮人から愛され、
彼の家はいつも物売りの老婆から娼婦、人夫、または学者に至るまで国籍・性別・階級を超えた人が集まっていたそうだ。

そして、まるで「生き急ぐ」かのように、本業の林業技師として山々を巡り緑を取り戻す作業と共に、白磁の研究・収集・論文、またその他の工芸品の発掘など、
ほとんど寝る間もない生活を続けた結果、わずか40歳の若さでこの世を去ることとなる。

彼の葬儀には当時の朝鮮における日本人の葬式ではありえないそうだが、大勢の朝鮮人が少しでも棺を担ぎたいと詰めかけ長蛇の列が出来た。

途中出くわした日本軍が威嚇などで解散させようとした際も、当時はどのような理不尽な要求も飲まざるを得なかった朝鮮人が全く言うことを聞かなかったという。

今でこそ、平等を叫んだり、またその通りに行動することはたやすい(その気があれば)が、この時代に
淺川巧のようにその意志を貫くのは容易ではないだろう。

ちなみに、今でも、朝鮮人やアジアの人々に対して平等に接している日本人は決して多くはないのではないかと思う。

そして彼らに対して偉そうな態度を取る人たちはえてして欧米人に対する態度は弱い。

少し話はずれるが、日本帰国時によく感じるのだが、日本人は(主に男性)すれ違う際によけず、わざと肩をぶつけるような人が非常に多い。

ところが欧米人と一緒に歩いていて観察すると、彼らに肩をぶつける人は皆無である。

正直、この国はなんなのだろう、どうなっちゃたんだろう?と思ってしまう。


以前にも記載したかもしれないが、中国の友人はやはり中国で接する日本人が大嫌いだったのだそうだ。

理由は「とにかく横柄で偉そう」だから。

到底、淺川巧には足元にも及ばないが、そんな彼と無二の親友になれ、「日本人に対する印象が変わった」と言ってくれたことは今でも自分の中で誇りである。

そして今回、韓国人の人と一緒に飲む機会があった。
その彼が言ってくれたのだが、「やさしくしてくれる人は多いけど、あなたの様に対等に接してくれる人は少ない。ぜひ次回帰国時も会いたい」と。
お世辞かもしれないが、とても嬉しかった。

今後、そのように思ってくれる人を一人でも多く作りたいと思っている。

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甘粕正彦 乱心の曠野   (佐野眞一著)‏ [ノンフィクション]

「満州の夜は甘粕が支配する」と言われた甘粕正彦に関する話。

ノンフィクションの物語と言うよりはかなり「研究本」に近い。

そういった意味では個人的に少し期待はずれ。



以前から当時の満州や上海にはすごく興味を覚えている。

「男装の麗人」と言われた川島芳子や、「李香蘭」こと山口淑子が活躍したのもこの時代の満州だ。

その他にも今に残る「魔都」上海の租界など、世界中の表と裏の顔が一同に会し、“何があってもおかしくない”時代と場所。

当時生きていて、そこで暮らしていたらさぞかし面白かっただろうと思う。



本書は「大杉栄殺人事件」から大きく人生を狂わされた甘粕の真の姿を様々な証言や資料から解き明かそうと言う趣旨。

資料・証言などすべて客観的事実(証言の内容は事実かどうか保証できないが)に基づいて検証されている。但し、作者・佐野氏は大杉事件も甘粕の犯行ではないというスタンスで、かなり甘粕側に寄り添った内容となっている。



こういう本を読んでいるとつくづく中立と言うのは難しいな、と思う。

先にも述べたように佐野氏はかなり甘粕擁護派で、後書きにも「すべて客観的事実」と書いているが、

証言によっては「それをそう取りますか?」と言う様な内容もある。

しかし、逆に言うとこれだけの資料を調べる情熱はやはり対象人物に相当な興味(好意にせよ、悪意にせよ)がないと無理であろうから、そういう意味ではどうしても一方の側、大抵は対象人物側に寄ってしまうのはどうしようもないのかもしれない。

戦国時代の武将にせよ、幕末の志士にせよ、である。

そう言えば以前幕末の志士について、「竜馬が行く」など坂本龍馬から入った人は新撰組はあまり好きではないと言っていた。



この本では何故甘粕が「満州の夜の帝王」と言われるようになったのか。

どのような暗部や裏(関東軍の表に対し)を支配していたのか。

などは残念ながらあまり書かれていないが、やはり興味深い人物なので、次回はもっと「活動」に焦点を当てた本を読みたいと思う。

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完全なる証明   (マーシャ・ガッセン著)‏ [ノンフィクション]

クレイ数学研究所「ミレニアム会議」において100万ドルもの賞金がかけられた数学会の未解決の問題7つのうちの1つ、「ポアンカレ予想」を証明したロシア人数学者の話。

7つの問題は永遠に、若しくは今世紀中に解決されることはないだろうと思われていた。
以前読んだ「フェルマーの最終定理」にしてもそうだが、解決・証明されないのに、「正しい」とされる定理が、一般人の自分にはよくわからない。
が、そこが数学の面白さたるや所以であろう。

2002年11月、1人のロシア人数学者、グレゴリー・ペレルマンがポアンカレ予想の証明をインターネット上に公開した。
もちろん過去に何人も「ポアンカレ予想を証明した」と発表する者は大勢いたが、ことごとくその証明が不備であることが判明している。
そしてこのポアンカレ予想に関して最後に大きな進展があったのはこの20年前、アメリカ人リチャード・ハミルトンと言う数学者によって問題を解くための方向性を示したものだ。
しかし、当のハミルトンも自分のプログラムはあまりにも複雑すぎてこれ以上は進めないと考えるに至っていたという難問。

ペレルマンのインターネット上の発表はやがて完全な証明であることが明らかになる。
しかし、ミレニアム会議は規定として「査読つきの専門誌」に論文を発表すること・掲載から2年を待機期間とし、その間に世界中で数学者が論文を精査して証明に間違いがないかを判定する、というもの。
これは数学会では当然で、インターネットだけに発表することが普通は考えられないことなのだそう。
にもかかわらず、「ペレルマンが“証明した”と発表すると言うことは確かに証明されたのであろう」と言う何人かの数学者の推薦により、多くの数学者・専門家の手によってこの証明が正しかったことが判明する。
そして、クレイ数学研究所は自ら定めた規定をまげてまで、ペレルマンに100万ドルを授与することを決めるのだ。

しかし、である。
ペレルマンは発表後、他の数学者が証明を綿密に分析した論文を検討することはおろか、それについて論評することすら拒否したのだ。
そして、世界中の一流大学から殺到したポストの申し出も全て断り、100万ドルの賞金も辞退する。
さらに、数学における最高の名誉であるフィールズ賞さえも辞退し、それ以降、数学者ばかりか、ほとんどすべての人との連絡を絶ってしまったのだ。

この本は何故彼がポアンカレ予想を証明できたのか、何故賞金を辞退したのか、そして何故数学を捨て、自分がそれまで住んでいた世界をも捨ててしまったのか。
その謎を周りの人のインタビューや生い立ちによって解いていく。
ちなみに彼は世捨て人なので、彼自身へのインタビューは数少ない彼の居場所を知る人を通じて何度も挑戦したのだが、不成功に終わっている。

彼の数学者としてのあまりにも完璧な頭脳(初めて出た数学オリンピックにおいて唯一4問すべて正解したとか)を読んでいると、もし彼がこの世界を捨てなかったとしたら、もしかして他の7つの問題の1つくらいは彼が証明していたのではないかと思う。
一方で、彼のその特異な行動、それはあの時代のソ連と言う体制に深く根ざしている様だ。
そういう意味では数学に全く興味がない人も、旧共産時代の東欧・ソ連に関する読み物としても十分面白い。

つい最近、サンクトペテルブルグに行ったのだが、表面上は今はその面影は全くない。
しかし、ペレルマンを苦しめた体制が崩壊したのはほんの最近のことだと、そして2002年に数学の大問題を証明した人がその体制に大きな影響を受けているのだと、その事実を目の前にすると愕然としてしまう。

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タブーの正体!   (川端幹人著) [ノンフィクション]

「噂の真相」元副編集長による著作。
「噂の真相」ってガセも多い低俗な雑誌ってイメージだったけど、違ったのね。
失礼しました。
著者を含め、真相に迫るから実際に右翼の襲撃(これが引き金で休刊になったみたい)などもあったそう。

内容は皇室・宗教・同和問題・政治家・官僚・企業・芸能人に関するタブーの話。

と言っても、それぞれのネタ的な方(こんな真相があるよ的な)ではなく、どのようなタブーがあり、それがどのように構築されていったのか、と言う方に重点が置かれている。
ただ、その過程で当然「タブー」についての真相を書いているのだが、この本だいじょうぶなのだろうか?
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前世への冒険   (森下典子著‏) [ノンフィクション]

女優の杏による表紙でドラマ化となっていたので、すっかり小説だと思って買ったが、ノンフィクションだった。
ちなみに杏はこの本を初めて読んだのはまだ女優になっていない10年前だそうだ。
それも運命なのか、それとも杏が読書家だからなのか・・・(年間100冊程読むらしい)

作者は雑誌の取材で「京都に住む前世が見える女性」と会う事になる。
この作者は超常現象や幽霊など、非科学的な現象は全く信じておらず、ましてや前世は「仏教上、悪事を戒める為に創造された“教え”」と言う認識で、それが見えるということ自体あり得ない、と思っている。
そして、取材で言われた前世もはなっから信用しておらず、原稿が進まない為、当日その女性が言ったある言葉が他の前世の存在もほのめかすものだったことから、それも見てもらって「羅列でもするか」という気持ちで再度京都を訪ねる。

そこで出てきたのがルネサンス期・イタリアの彫刻家デジデリオという人物。

ダ・ヴィンチやミケランジェロほど有名ではないので、彼に書かれた本自体は少ないが、ルネサンスの書物では常に出てくる彫刻家。
と、言っても作者はその存在さえ知らないので、書店でルネサンスの本を手にしたところ、その他詳細にわたり具体的に語られた内容と一致していることがわかる。
ただ、その書店が京都であるため、「これがネタ元か?」と言う気持ちでその本を買って再度読み直したところ、この本では語りつくせないこと、また記載と出生地など細部が異なる部分があることから、他の資料も調べてみるところから、この旅が始まる。

作者も最後に書いているように、語られる詳細が一致していたとしても、彼女がデジデリオの「生まれ変わり」と言う証拠はなにもない。作者自身もその点についてはわからないとしている。
ただ、冒頭・巻末に作者が書いているようにこの本に書かれていることはすべて事実ということだ。
そしてここに書かれていることがすべて事実だとすると、やはり科学では証明できない何かがあることは間違いないと思える。
そして物語は前世かどうかと言うよりもデジデリオの真実を追究する旅へといつの間にかなっており、そこで明らかになる真実はやはり驚きである。
そして、デジデリオは500年の時を超えて何を語り掛けたいのか
そう思わずにはいられない。

とても不思議で、幻想的で、そしてとても美しい。

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龍馬の黒幕・明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン   (加治将一著) [ノンフィクション]

龍馬の最後の手紙に隠された暗号を中心に、明治維新と龍馬、フリーメーソンの関係を描くノンフィクション。

「小説」として読めば、面白いと思う。
ただ、「ノンフィクション」として読むと、突っ込みどころ満載である。

まえがきにもあるが、氏はフリーメーソンをずっと追いかけており、今回の作品も「誰がなんと言おうと世間に媚びず、脅されようとも筆を曲げない」のだそう。
やはり、フリーメーソンは有名と言えども秘密結社。
歴史にかかわった事実を書くと命も危ないのか・・・・
と、思いきや巻末に「そして快く取材に応じてくれたフリーメーソンの方々」への感謝の言葉が。。。

また、氏は「私がフリーメーソンだと言う裏づけは公式文書である。それ以外の人物は断言しない」と宣言している。
実際、ジョージワシントン、ハイドン、ゲーテ、モーツァルトなどはフリーメーソンであることを証明する公式文書もあるのだそうだ。
昔、フリーメーソンに関する本を読んだこともあるが、確かにすごいメンバー構成である様だ。
ところが、この本では龍馬とフリーメーソンの関係で中心的存在であるグラバー(グラバー邸の人)がフリーメーソンであると言うことが大前提で進んでいき、そうでなければ成り立たないのだが、グラバーがフリーメーソンであると言う「公的文書はない」のだそう。
ムムム・・・・

この本によると明治維新の立役者のほとんどはフリーメーソンのスパイ、もしくは関わりがあることになる。
つまり英国の思惑通りに事が進んだと言うことである。
たとすれば、下手をすれば今頃日本は英国領になっていた可能性が高いのではないだろうか。
そうならなかったことにただただ感謝である。

「では、誰が龍馬を暗殺した真犯人か」
と言う項目の中岡慎太郎真犯人説はフリーメーソンが裏で糸を引いているという部分は別として面白いと思った。
確かに彼なら龍馬を油断させることが出来るし、実際に急進的倒幕派だったこともあるわけなので、龍馬が邪魔だったと考えても不思議ではない。
まぁ、そうすると龍馬を滅多切りにした(はずの)中岡慎太郎も滅多切りで殺されているのは何故?誰が?という疑問は残るんだけどね。

先にも書いたがこの本は「ノンフィクション」として細かいところを気にするとかなり「??」が頭の中を駆け巡る。
しかし「小説」として読み進めるとなかなか面白い。
ただ、「フリーメーソンを黒幕とした小説」と何度も言い聞かせながら読まなければならないが。

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天才の栄光と挫折・数学者列伝   (藤原正彦著) [ノンフィクション]

実は数学者とか理学者の類が好きである。
3歳の時再婚する母親に置き去りにされたニュートン・20歳で決闘のため命を落としたガロワ・350年の難問に挑み苦悩したワイルズ・・・見出しを読むだけでわくわくする。

この本を最初読んだとき、まず思ったのはこの作者、史実・事実と感情が混ざった書き方するなぁ、と言うこと。
例えばニュートンの故郷を訪ねた時の文章は「私はすべての始まりであった尖塔を(生家から)探した。2キロほどしか離れてないが、土地の起伏のため見えなかった。私は安堵の深呼吸をした。リンゴの木が束の間の秋陽に輝いていた」と言うもの。
う~ん、感傷的である。

どんな人が書いてるのかと思って巻末を見たら、数学者とあった。
→ なるほど。
さらに読み進めると、なんとあの「国家の品格」を書いた人だった。
→ う~ん、以外である。
そして映画化もされた小川洋子氏「博士の愛した数式」は氏がこの本を読んだのがきっかけだそうだ。
→ それはすごい。

と、言う数学的論法(?)とともに読み進めると、情感的・感傷的なところも気にならなくなった。
むしろバランスが面白いかも。

ただ、「決めつけ」が多いのはちょっと。
ニュートンの錯乱に関するところで、様々な説を挙げた後、「これまでに挙げられてきたこれら原因は、主因と言うより誘因に見える。主因は、更年期障害ではないだろうか。」と言う文章の後、数学者の更年期障害についての記載が続く。
他の数学者の話でも「・・・と、言われている。いや、しかし、事実はこうではなかったか。」と言う様な文章がほぼ必ず出てくる。
いやいや一般的に言われてる方が正解なんじゃないの?とか思ってしまうのである。

しかしながら、そういったことを差し置いて、非常に面白く、出張の帰り飛行機が2時間も遅れてくれやがったおかげもあり、一気に読んでしまった。

しかし、数学の世界は何なのであろう。
生れてこの方、正真正銘文系道を歩んできたので、当然ここに書いてある数学的なものは理解できない。
が、どうやらわかったのは、数学は芸術となんら変わらない、ということだ。
ここに出てくる様な数学者は皆子供の頃から、幾何学の証明をしてみせたり、円周率を何桁も出して見せたり、もう生まれ持っての才能としか言えないのである。
例えば20歳で決闘でその命を落とすガロワなどは14歳で「幾何学の基礎」を読破し、定理を読むと同時に証明をしてしまったそうだ。
そして17歳の時には「循環連分数に関する一定理の証明」を仕上げ専門誌に発表している。
彼の倍以上生きてきたが、何の話かちんぷんかんぷんである。

そういえば、自分も中学生くらいまでは結構数学100点取ってたので、理系に進めば数学者になり得たのであろうか。
などと一瞬考えたが、まず無理だ。

と、言うのも彼らの探究心はもとより、集中力、忍耐力は人間の限界に近いのではないだろうか。

例えば「フェルマーの最終定理」と言われるものがあり、“3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない”、という定理のことらしいのだが、これを証明することが出来ないため、「フェルマーの予想」と呼ばれたそうだ。
そして、その証明の為に350年間世界中の数学者達が彼らの人生の大半、8年や10年かけて挑んだがことごとく挫折し、結果、彼らの全盛期をその証明に費やしたため、他の研究が出来ず、つぶれていったという、なんだかとんでもない話なのだ。

そしてその証明を完全に成し遂げたのがこの本に出てくる1人、ワイルズなのだ。

面白いのは彼がこの「フェルマーの予想」を証明するためにその過程で使った方式が谷山・志村予想と言う日本人の定理なのだそう。
ちなみにここにも「予想」と言う言葉が使われている通り、当初はこの定理=すべての楕円曲線はモジュラーである(なんのこっちゃ!!?)=も証明することが出来なかった為、「予想」となったそうなのだ。
この谷山・志村予想と言うのはラマヌジャン予想などと並び数論の中心的テーマの1つだそう。

実はこの谷山氏や志村氏だけでなく、数学の歴史上、日本人はかなり重要な役割をはたしているらしい。

と、まぁ理解できない単語や数学上の言葉は多々出てくるが、それがわからなくても十分楽しめる。

と、同時に「いやぁ、天才でなくてよかった」と安心できる本である。




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大相撲タブー事件史 [ノンフィクション]

実は何を隠そう大相撲好きである。
以前には九重部屋のパーティーにも行ったことがある。

この本は朝青竜がまだ現役でいろいろたたかれていた際に出版されたものらしく、前半は朝青竜のタニマチや師匠である高砂親方の発言などが書いてある。
ただ、全体的にはそれほど朝青竜のことを悪く書いているわけではない。
むしろ、すべてのスキャンダルをその「本物の強さ」でうっちゃっていることに賞賛すら与えている。

思うに、多分時期的に朝青竜のことを前面に出した方が本が売れたであろうからであり、本当に書きたかったのは後半部分の八百長に関するところのような気がする。

先にも書いたがこの本の出版は現在問題になっている八百長事件の前に出版されたものである。

この本によると八百長は以前からあったが、それは星の譲り合い的なある部分「人情」が入ったものであったそうだが、それを金銭のやり取りによる星の売り買いに本格化させたのは何を隠そうウルフの愛称で知られる大横綱であるということになっている。
かく言う自分も現役時代のウルフのファンだったので少なからずショックであったが。

ただ、親方衆・記者・八百長を暴露している人たちを含めて一貫しているのは、大関・横綱になる人は間違いなく「本当に強い」のだそうである。
ウルフの53連勝にしても、当然だがすべて八百長ではなく、「ガチンコ」で勝っているもの多い。
ただ、彼はそれまでの八百長と違い「買えるものは買う」と言うやり方をしたそうだ。

そんな中、障害一度も八百長をやっていないと誰もが認めるのが貴乃花だそうだ。
以前ワイドショーをにぎわせた花田家の騒動も発端はそれまで同じく八百長を一切していない若乃花の横綱昇進がかかった取組であるようだ。
読んでいるとどうやら貴乃花はあまりにもまっすぐで相撲道を極めているため、そういったことが許せないのだろう。
ただ、記事の中でも、今の相撲界を立て直すことが出来るのは貴乃花しかいないと考えている人はかなり多いらしい。
そう考えると、(これもこの本の出版より後だったが)貴乃花の理事就任の際の騒動において、自分の地位を捨てる結果となっても、他の理事から「裏切り行為」とされる中、貴乃花に票を投じた親方がいたことは記憶に新しい。

この記事がすべて本当かどうかはわからない。
ただ、大相撲ファンからすると限りなく本当に近いようには思える。

そうであれば、そして誰からも彼しかいないと思われているのであれば、なんとか貴乃花を応援したいものだ。
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