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大富豪アニキの教え   兄貴(丸尾孝俊) [自己啓発]

プロローグといい、内容(教え)といい、100万部突破した「夢をかなえる象」にかなり似ている。
でも、やっぱり面白い。

「夢象」でも思ったが、これ関西弁でなかったらやっぱり面白さ半減なのかなぁ。

それは自分が関西人だからなのか、関西人以外(特に東)にとっても同じなのかはわからない。

あえて言えば、自分が「壬生義士伝(浅田次郎著)」で会津弁に引き込まれていったような感じなのだろうか?


予断だが、夢象にしても、「みんな面白いって言うけど、全然笑えない」という人がいるようだ。

そういう人は「自分はほかの人たちとは違う」とどこかで思いたい人が多いような気がする。

この本でも「素直なんが一番大事や」って言ってるんだけどね。


「夢象」と違うのはこの「アニキ」が実在の人物ということ。

なんでも、ほぼ無一文から大富豪になり、現在バリ島に29社所有。現地従業員5300名。自宅25軒、800ヘクタールの土地(東京ドーム170個分)があり、その資産はありすぎて試算できないレベル だそう。

但し、教えはすごくスタンダード。

別に特別なことを言うわけじゃない。

と、言うか、結論から言うとどのビジネス書であろうが、成功のための教書であろうが、書いてあることは同じなのだ。

つまりこれらが答えであり、要はそれを実行できるか否かなのだ。

* 「相手を自分ごとのように大切にする心」やねんて。

* 「人間が本当に成長するのは失敗したときだけ」やねんで。

* 「人のためにお金を使い続ける」そんなええ奴、神様が豊かにしたるに決まっとるで。

* 「継続すること。続けること」それだけで人生変わるくらい大事なことやねんで。

などなど、どれもどこかで読んだり聞いたことがあるのではないだろうか。

確か「夢象」でもガネーシャ(象)が「でも自分、こんなこと今までぎょうさん読んでんねんで。ただ読んで、わかったような気になって満足しとるだけやろ?」というようなことを言っていたのを思い出す。

松下幸之助にしてもそう、本多宗一郎にしてもそう、誰もが私利私欲ではなく「多くの人を幸せにしたい」という思いを持って、

毎日精進、努力」しているのだ。

ある意味、人のために苦労していると言ってもいいかもしれない。

さて、自分はそのような志を持って、これらの本に書いてあるような「基本的なこと」を継続していけるのだろうか。



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人を動かす   (D・カーネギー著)‏ [自己啓発]

「偉人は小人物の扱い方によって、その偉大さを示す」

フロイトによると人間のあらゆる行動は2つの動機に起因するーつまり、性の衝動と、偉くなりたいという願望、だそうだ。

他の哲学者や研究者でも言葉は違うが「自己の重要感」が必ず出てくるようだ。

つまり、人間は自分が重要だと思いたい・思われたいということなのだろう。

このことを十分理解し、行動原理としていたのが、リンカーンであり、アンドリュー・カーネギーであり、ロックフェラーだった。

カーネギーは公私いずれの場合も他人を褒め称え、自ら墓碑銘として「おのれより賢明なる人物を身辺に集むる法を心得し者ここに眠る」と書いたそうだ。

ロックフェラーも「真心を込めて感謝する」と言うことを常に意識して心がけていた。


〝レストランで出された料理が気に入ったらシェフに賛辞を伝えてもらい、丁重な態度で接してくれた接客係にはその対応に感謝の意を伝える。”

これはなんとか心がければ出来そうだ。

一方、“人を非難しない、気に入ったことがあれば心から賛成し、惜しみなく賛辞を与える”

これは意外と難しい。

仕事などでも、部下や相手がミスをしたり、言葉は悪いが「使えな」かったりする場合は、どうしても非難の方向に向かってしまうのではないだろうか。ロックフェラーのように億の損失をした部下相手に60%回収したことを褒め称えることなどなかなか現実的には出来ないだろう。

ただ出来るだけ褒める事は出来るはず。

及ばずながら、この項を読んでから一日1回は人を賞賛するメールを入れてみようと思っている。
ただ振り返ると必ずしも毎日出来ておらず、人を褒めるということの日常の少なさに驚いている。


また、相手が重要感を抱くには「名前を覚えること」も重要だとある。

カーネギーの会社が採算度外視でライバル社と泥仕合を演じていた際、相手の名前を全面的に出すことで簡単に合弁会社を作って、その分野を独占した話などはとても興味深い。


「聞き手にまわる」と言う原則では、
人に嫌われたり、陰で笑われたり軽蔑されたりしたかったら、次の条項を守るだけでよい、と書かれている。

一、相手の話を決して長くは聞かない
一、終始自分のことだけをしゃべる
一、相手が話している間、意見があればすぐに相手の話をさえぎる
一、相手はこちらよりも頭の回転がにぶい。そんな人間のくだらんおしゃべるをいつまでも聞いてる必要はない (と、考える)

どうだろう?

誰にでも思い当たることがあるのではないだろうか?

しかし、これが嫌われ、軽蔑される条項なのである。

逆に重要なのは「相手が喜んで答えるような質問をする / 相手自身のこと・得意としていることを話させ、心を込めてそれを聞く。」

それだけでよいのだ。


先日ディベートの本について書いたが、この本では「議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける」とある。

議論をすればたとえ勝ったとしても相手には不快感が残る。それは勝ちとはいえない。

リンカーンの言葉にも「出来る限り相手に譲るべきだ。犬に出会ったら、権利を主張して噛み付かれるよりも、犬に道を譲った方が賢明だ。たとえ犬を殺したとて、噛まれた傷は治らない」というものがある。

誤りを指摘してはならないのだ。

「我々は自分の考え方を変える場合がよくある。ところが、人から誤りを指摘されると腹を立てて意地を張る。この場合我々が重視しているのは信念などではなく、自尊心なのである・・・」と言うのはある高名な教授の言葉だ。

これなどは、最近ビジネス(多分欧米)でよく言われている優秀なビジネスマンは「I ではなく WE を使う」と言う事実につながるのではないだろうか。
(実際に最近はほとんど We を使うようにしているが、これが意外と難しい。ここでも人間の自己主張の強さに驚かされる)

そして友好的・感謝に満ちた態度で相手に接することで、相手の心は動く。

ここで出てくる「北風と太陽のイソップ話」が分かりやすい。

激しい力ずくのやり方では相手はますます心を閉じる(「北風と太陽」の場合、ますますオーバーをしっかりととじる)、一方やさしい親切なやり方ははるかに効果があるものだと太陽が証明する。

なんて奥深い話だったのだろう!


自慢話をしない、と言うのはよく聞かれる事である。

さらに相手に話をさせる、ということも特に仕事では重要だ。
さらに言えば、相手に肯定的な意見を自ら言わせることが出来れば完璧だ。


人に注意を与える場合についても原則があるそうだ。

よく、人を批判する場合、まずはほめておいて、次に「しかし」と言う言葉をはさんで批判的なことをいい始める場合がある。

これなどは、本やセミナーによっては「Yes, but 方式」という名で正しい注意の仕方として教えられることもあるのではないだろうか。

しかし、この本ではその「しかし」を「そして」に言い換えるように勧める。


「期待をかける」という原則でも、なるほどと納得させられた。

人は評価を与えられると、その評価に違わぬ様にしようとする のだ。

例えば極端な話、会議などで進行を妨げるような言動をする人を「あなたの意見はいつも建設的で、周りの言うこともよくきいている。ひいてはあなたが司会進行をしてくれれば会議が非常に活発になるのでお願いしたい」と、議事進行役に指名すると、本人はその評価通りにしようと努力するのだそうだ。

これは結構使えるかもしれない。



このように、なるほどと思った内容を書き出したらきりがないが、そのどれもが納得できるもので、感動さえ覚える。
まさに「目からうろこ」である。

これは、少なくともマネージメントに関わる人はすべて読むべきではないか、とさえ思えるほどだ。

そして、頭に入って来やすいのは、それぞれの原則に対して具体的な実話が語られているところだ。

上記に羅列した様に、その原則だけでも感嘆するが、そこに具体例があるとより理解しやすい。



これもはバイブルとして定期的に読み直すべき本の1冊であることは間違いない。
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ザ・ディベート   (茂木秀昭著) [自己啓発]

ディベートの本は面白いのだが、どうしても内容的に「競技」としてのディベートに関する記述が多い。
ディベート大会などに興味がある人には良いが、そんなものには全く興味がなく、
仕事に活かせるディベートの能力のような本はないだろうかといつも思う。
きっと探せばあるはずなので、今度帰国時、忘れなければ探してみよう。

この本も、前半はディベートとは何か、どういったものか、と言うことに基点をおいているのだが、
後半は実戦や実際の大会の事例などが延々と書かれている。

面白いなと思ったのは、作者が前半でディベートと言うのは単なる討論ではなく、物事を客観的に見、合理的に意思決定するものだと繰り返し主張しているのだが、その方法が、まずディベートに対する批判を取り上げ、それに対する反論で構成している点。
骨の髄までディベーターなんだな(笑)、と。

まぁ、賛否両論、どちらも「さもありなん」と思うところはあるが、競技としてのディベートが実際の自分の意見には関係なく、ある議題に対して賛成・反対に振り分けられそれぞれの立場で議論する、と言うやり方は、確かに相手の立場になって物事を考えると言う意味では有効的なのかもしれない。

ただ、ここでまたしても問題が出てくる。
競技としてのディベートに参加しない限り、自分と違う意見でそれを立証するなどと言う訓練は日常においてはありえないのだ。
日常では自分が賛成なのに、反対側の為に立証したり、論じたりすることなどない。

つまり競技としてのディベートを勉強しない限り、そういった訓練は出来ない。
すると、ディベートに関する本はどうしても「競技」方法に沿った形になるわけで、勉強していない者が例えば仕事で使えるディベートなどと言うものは存在しない、ということになるのだろうか?
それとも競技ディベートを勉強することで日常でもその方法を使うことが出来るようになるということなのだろうか・・・

ムムム・・・考えれば考えるほどわからなくなってきた。

もう1冊くらい読んで結論が出なかったら、これは止めようかな・・・

<勝負脳>の鍛え方   (林成之著‏) [自己啓発]

作者は脳科学者かと思いきや、以外にも脳外科医。
脳は「心」に連動していると言う内容も、脳構造や実際の手術・経験に基づいているので、非常に理解しやすい。

「勝負脳」とは作者の造語で、簡単に言うと、「例えばスポーツ選手などが、何年もの努力の上、オリンピックなどの本番で本来の力を出せずに負けてしまうことを克服する脳の仕組み」のこと。
実際にスポーツ選手に限らず、仕事上のプレゼンや、人前でのスピーチなどで緊張してうまく出来なかったという経験は誰にでもあるのではないだろうか。

サイコサイバネティックス理論
できるだけ陽気に振舞う・他人に好意的に振舞う・そうありたいと思っている自分になったつもりで行動する・悲観的なことは考えない

脳機能的に我々は常に下り坂の方向を向いて立っているそうだ。「現状維持は衰退の始まり」と言われるのには理由がある、ということだ。
坂道を駆け上がるためにはサイコサイバネティックス理論と言われる以下の3つの作業が必要とされる。
①目的と目標を明確にする。
②目標達成の具体的な方法を明らかにして実行する
③目標を達成するまで、その実行を中止しない

特に目的と目標と言うわけ方が興味深いと思った。
例えば、野球でピッチャーが三振を取るという目的があるとすると、自分の得意の剛速球で攻めるのではなく、相手の構えを見て、内角を攻めたり、剛速球をより効果的にするため、組み立てを考えたり、と言うこと。
こう書くと当たり前のことだが、スポーツでも仕事でもうまくなりたいと言う目的に対して、ただただ練習や経験を重ねるのみと言う様な根性論的な考えは意外と多いのではないだろうか。

ところで、すぐれた勝負脳の持ち主は目的=勝負の結果には執着しないらしい。
と言うことも書いてあった。
これなどは、以前読んだイチローの本にあった「本番は練習の成果を試す場所に過ぎない」と言う考え方がまさにそれではないだろうか。

また、負けや失敗を成長の糧にする
と言う勝負脳に関しては以前観たサッカーの香川の特集(多分「情熱大陸」だったと思う)を思い出した。
その時思ったのは、この人は怪我や代表漏れなど、ピンチの度にどんどん成長してるな、ということ。
まさに、ここで言う「勝負脳」を持っているということだろう。

意外だったのが、よく大事な場面で緊張をほぐすため、「リラックスしろ」と言うが、これは脳科学的には言語道断なのだそうだ。
緊張と言うのは、ある意味、自己の能力を最高に高めることが出来る状態らしい。
つまりリラックスするのではなく、その身体的最高の状態でいかに最高のパフォーマンスを出せるかに集中すべきである、とのこと。

とにかく、心を健康にすることが作者の言う「モジュレータ神経群」、つまり記憶神経や空間把握能力、ひいては運動神経にまで影響するらしい。
実際に、脳外科手術をした人の中でも、常日頃から明るい人は、そうでない人に比べて後遺症の確立、回復が全く違うそうだ。

言葉ほど、簡単ではないが、常に明るく前向きでありたい。
そして、失敗やピンチほど成長していけるような、本当の強さを持ち続けていたいと思う。

この本はたまに読み返すことにしよう。
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ポジティブ・イングリッシュのすすめ   (木村和美著) [自己啓発]

こう言う時にこういう本に出会うんだなぁ。

最近、次の次元に行くために自分を変える必要性が出てきて、
少し悩んでいた。

この本は、シンガポールの紀伊国屋(!うらやましい!)でなにげなく買った。
タイトル的に、英語のポジティブな言い回しの本だと思って買った。
(英語圏では、ある程度以上の地位ではあまりネガティブな単語は使わないので、例えば「この部署が使えない」と言うかわりに「目標を達成するにはどこを改善しなければいけないか」と言う言い方をする)

ところが、全く違った。
しかも 目からうろこ である。

この本は、英米では文化的に人をほめることが多く、その結果、どのような効果をもたらすか、と言うようなことが書いてある。
本文にも出てくるのだが、日本では昔の武士道からの伝統もあって、スポーツでも仕事でも基本的に「厳しく」育てることを基礎としている。
例えば、イチローの親が中学の時の野球部監督に「決してほめないでください」と言ったのは有名な話だ。
一方、英米では時に大げさなほど褒める。

どちらがいいというわけではないのだが、日本は完璧をめざし、欠点をなくそうとする。
それに比べ英米では良い面を見るようにする。

この文化の違いが、日本人が英語が出来ても、なかなかコミュニケーションが出来なかったりする理由だそうだ。

本書に出てくる例としては、例えば会社で今まで挨拶を交わした程度の相手と一定時間一緒にいる場面で相手が「あなたのネクタイ素敵ですね」と言った際に、日本人は「いえいえ、安物で、これしかなかったんですよ」みたいな回答をするのに対し、アメリカ人は「ありがとう。実はこれいとこが誕生日に買ってくれて、そのいとこはそんなにしょっちゅう会わないのに、自分の好みの色とか覚えててくれて・・・」と話がどんどん続いていくのだ。
確かにこちらでは謙遜の美徳などないので、上記のような回答をしてしまったら会話はそこで終わって気まずい時間が流れるだけだ。
すごく的を得ていると思う。

さらに、一番感心したのは、良いところを見る文化の効用。

著者が実際アメリカの学校で体験したことだそうだが、隣に座っているクラスメートを褒めるという授業。
各国から勉強しに来ている人のクラスで、その日はたまたま、なまった英語で、人が話している時にでも自分の意見をかぶせてきたりする一番苦手な人が隣だったそうだ。
そこで、褒めるところを探していても、どうしてもその人のことを考えると上記の特徴が頭に浮かぶのだが、そこでふと「それは自分には出来ない、素晴らしい積極性ではないか」と気付き、そこを褒める。
そうすると相手はすごく喜び、めったに笑わないのににこにこしているそうだ。
そして著者自身、それ以来、その人のことが好きになったそうだ。

以前、カーネギーの「人を動かす」にも書いてあったが、人を動かす一番簡単な方法は相手を好きになり、相手に好きになってもらうことなのだ。

これは、本来当たり前のことかもしれないが、なかなか日常では出来ていないものすごく大事なことなのではないだろうか。
まさしく、目からうろこ であった。
そして1人、仕事上嫌いだった人に実践してみたのだが、その人はある面において自分よりもはるかに能力が上であることに気付き、実際に全く嫌いではなく、むしろちょっと好きになった。

当然のことながらこれは今後も、特にイラッっとした時(結構多いのだ)、実践していくべきだと思った。

あと1つ、この本にも書かれていたことで実践していることがある。

英米の人たちは例えばエレベーターの中やバス停などで、知らない人に対しても「素敵なシャツですね」などと話しかける。
実際にそういう場面はよくあるので、自分でも「今日は暑いね」などと話しかけるようにしていた。
日本人なのに珍しいね、などと言われ「顔は日本人だけど、もうヨーロッパ人だから」などと答えて会話が弾むこともあった。
だが、この本を読んで確かに「ほめる」言葉が多いのに気付いた。
そうだったんだ!

そこで、これからは出来るだけそういう場面(見知らぬ人)をほめてみることにした。

あと、会社にいる間に1日1度は誰かを褒めるというのも日課にしようと思う。

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はじめてのディベート [自己啓発]

現在わが社では欧州に2名日本人がいる。
その、もう1人(先輩)から「外資はやっぱりディベートで勝たなあかんで」と言われ
渡された本。

この本はどちらかと言うとディベートのやり方、審判はどう採点するかとか、ディベートの方式とか、
流れ(立論→反対尋問→・・・ など)などを解説したもの。
なので、日常の仕事に生かす参考部分はそれほど多くないが、後半の再現編などは、「なるほど、こういう風に持っていくのか」と参考になったが、あくまで試合形式。

結構プレゼン・スキルとか、情報収集能力とか、別のスキルもいる様だ。
あとは、やはり論理的思考力。
これは日ごろから少し足りないことを感じているところでもある。

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20歳のときに知っておきたかったこと   (ティナ・シーリング著) [自己啓発]

これはスタンフォード大学の集中講義を本にしたもの。
以前から読みたかったので、前回帰国時に買ってきた。

「20歳の時に知っておきたかったこと」というタイトルがついているが、この集中講義は起業家なども対象にしたものなので、20歳じゃなくても全然問題ありません。

もう、目からうろこ である。
内容はスタンフォードの学生を対象とした研究課題の結果などを紹介しているのだが、
一貫したテーマは「自分自身に許可を与える」ということ。
常識を疑う許可、世の中を新鮮な目で見る許可、失敗する許可、自分自身で進路を切り開く許可、そして自分自身の限界を試す許可。

成功を阻む最大の敵は自己規制である。
確かに、常識や規制は結構自分でそれにおさまってしまっている場合が多いと思う。
と、いうよりその前に疑うすべを知らない。
もちろん、社会のルールを逸脱することではなく、自分のルールを破るということである。
例えば面白い実験方法で実際に格安航空会社はこの手法で出来たそうだが、まずは「航空会社とは?」で思いつくまま挙げていくそうだ。
「CAによるサービス」「機内食」「人を運ぶ」などなど。
で、次にそれらをすべて否定する。
「CAを置かない」「機内食を出さない」「人を運ばない」など。
そこから、新しいサービスや機会を見つけ出すそうだ。
今の我々では機内食の出ない航空会社は普通だが、その当時「機内食」は常識だった。
その常識内ではアイデアは「どうやって機内食を安くおいしくするか」などの範囲に留まるのだそうだ。

もう1つ面白かったのはある質問。
「公園でお父さんと子供がキャッチボールをしていたが、子供が転んで頭を打ち、救急車で病院に運ばれた。
ところが外科医が<自分の子供は手術できない>と言ったそうだ。 どういうことなのだろう?」
さて、どういうことだと思いますか?

ちなみに、会社のドイツ人に聞いてみたところ、考えた挙句、「実は奥さんの前の旦那の子供だった」と言う答えが返ってきました。

答えは単純。
外科医が奥さんだっただけです。
ただ、誰もが頭の中のどこかで外科医は男という常識を作り上げてるのだそうです。

キャリアの部分では「共に働く人の質が最適になるようにキャリアを考えなさい」という言葉があった。
そうすればめぐってくるキャリアの質が上がるのだそうだ。
これは競争社会で生きている我々には言葉にするのは簡単だが、実行するのはなかなか難しい。

今の社会で自分の殻を破る、変化・変革を恐れないというのはものすごく難しい。
人は塗り絵の内側をきれいに彩色していた方が落ち着くし、快適なのだそうだ。
もちろんこの本でもそういった生き方を否定しているわけではない。
それも1つの選択だ。
ただ、枠を超えた上を目指しているのであれば、新しい世界に飛び込むことが必要ということだ。

自分のことで言うと、会社を変わったのは1つの大きな「変化」だったと思う。
業界では世界1位の企業から、世界3・4位(それでも十分なんだけど)の会社へ移ったこともあり、「よく決断したね」とか「なんで?」と言う声は大きかった。
(ここで、余談だが、大学時代からの親友たちは皆「お前がいいと思えばいいんでない?」と言ってくれた。 かっこいい奴らだと思う)
だが、今は忙しいながら非常に面白く、充実している。
そして会社自身も外からは見えなかったが素晴らしい会社で、その証拠に欧州企業であるにも関わらず在籍20年・30年と言う人たちが大勢いて、皆、親切且つ仕事に対して情熱的だ。
もちろんこれからマイナス面も見えてくるだろうが、それでも転職してよかったと思っている。
そして前の会社と同じような仕事内容だが、皆が「リスペクト(尊敬って書くとちょっとニュアンスが違うので」してくれているのがわかる。
こういったことは、新しい世界に飛び込んだおかげなのだろう。

ただ、転職の時「殻を破る」とか「新しい世界で」とか考えたわけではなく、タイミングと「こっちの方が面白そう」と言う単純な理由で変わっただけなのが、残念であるが。。。
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道は開ける   (D・カーネギー著‏) [自己啓発]

原題は How to stop worrying and start living
対になっている「人を動かす(How to Win Friends and Influence People)」と共に各国でベストセラーになった本。

印象に残ったいくつかの教訓は以下のとおり。

「今日一日の枠の中で生きよ」
我々にとって大切なことは、遠くにぼんやりと存在するものに目をやることではなく、手近にはっきりと存在することを実行することだ

1.起こりうる最悪の事態とは何か と自問すること
2.やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること
3.それから落ち着いて最悪状態を好転させるように努力すること。

「悩みに対する戦略を知らないビジネスマンは若死する」
悩みが健康や美という名の法外な代償を払っている。

「悩みを分析する」
あることが1週間後にあるとする→それに対してくよくよ悩んでいてもしょうがない→その件に関しては当日まで一切決断しない→その間にその件に関連する事実をことごとく集めることに専念する→もし1週間後の期日までにすべての事実を把握していれば問題はたいてい自然に解決している
但し、悩みがあれば自分の行為を正当化する事実、自分の希望的観測に好都合な事実、抱いている偏見を正当化する事実を望んでしまう。
事実を把握しようとする場合に情報収集は自分のためではなく誰か他人のためなのだと思うようにする。
自分を悩ましている問題について事実を集めているあいだは、自分を自分の反対側に立って反論しようとしている弁護士とみなし、反論を加える準備をしているつもりになる。
1.問題点は何か
2.問題の原因は何か
3.いくとおりの解決策があって、それらはどんなものか
4.望ましい解決策はどれか

「人生は短すぎる。小事にこだわっていられない」
人は不足しているものを考える。
不足しているものを数え、自分には運がないと言うが、めぐまれているものを数えることはしない。

アメリカの言葉で「運命がレモンをくれたら、それでレモネードを作る努力をしよう」というものがあるらしい。
(この場合のレモンは“不快なもの”と言う意味があるそうだ。)
愚か者は人生の贈り物がレモンであるとわかると、あきらめ顔で「私は負けた。これが運命だ」などと言い出す。
賢者は自問する。「この不運からどんな教訓を学ぶべきだろう?どうしたら状況をよくすることができるだろう?」

人間は肉体的に笑いながら深く悩むことは出来ない様に出来ている。
試しに笑いながら深く悩み事を考えてみればいい。 それが出来ないことがわかる。

中でも一番納得したのは確率論。
例えば健康体である自分が「がんになったらどうしよう」と悩んでいるとして、その確立を考えてみる。
その低さに驚くと同時に、そのような低い確率についてあれこれ悩むことに膨大な時間を費やしていることがばからしくなるだろう。
何かをするとき「失敗したらどうしよう」というのも同じ。
失敗する確立をまず考える。 もし確立が比較的高いのであれば必ずその要因があるはず。
そうであれば悩んでいる間にその要因に対する対策を考えれば確立は下がる。
それでも確立が高ければ最初の項目「起こりうる最悪の事態を考える」と言うところに戻るのだろう。

後半は少し宗教色が強く、いかに神を信じるかで悩みから救われるか、という内容に結構ページが割かれていた。 宗教があまり好きでないので、そのあたりは途中で飛ばしてしまった。
もちろん、宗教や神を信じることで救われる人がいるのも事実だとは思うし、否定する気はないのだが。。。

それは別として今度は「人を動かす」もぜひ読んでみたいので、次回帰国時に買ってみよう。
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夢をかなえる象   (水野敬也著) [自己啓発]

先日、日本帰国時にこの本の話が出たので再度読みたくなった。

何度読んでも抱腹絶倒、とにかく面白い。

関西出身と言うこともあり、ガネーシャ(象の神様)の関西弁に思わずにやっとしてしまう。
いつも思うのだが、これは関西出身でない人が読んでも、同じように面白いのだろうか?
もちろん100万部突破してるので本自体が面白いのは間違いないのだが。

毎回、読み出したら止まらなくなり一気に読んでしまう。
本当は1つの「教え」ずつ実行してから次の「教え」に進もうと思うのだが、やはり止まらない。
だめやなぁ と思うとガネーシャの
「ここに書いてあることなんて自分他の本で読んどるやん?読んで成長した様な気になって、そのまま実行しとらへんだけやん?」
という言葉が聞こえてきそうで、ちょっと恐怖である。

実は一昨日クロアチアからドイツに帰ってきた際、フランクフルトの空港でキャリーバックが壊れた。
で、転がすことが出来ずその後はずっと重いかばんを持ち運ぶ羽目に。
最初、「せっかく旅先は天気も良くて、海も空もきれいでよかったのに最後のとこでついてへんなぁ」と思った。
その瞬間、ガネーシャの「どんなことがあっても“運がいい”って思わなあかんねんで」と言う言葉が浮かんで、
「よく考えたら壊れたのが行きでなくって帰りで運がよかったんやな」と思うことにした。

余談だが、ガネーシャの教えだと、そこに「何ならもう口に出して言うくらいの勢いがあってもええんやで」というひと言が付く。
そのひと言がなんとも言えず味わい深く「にやっ」なのである。

ちなみに、確かに同じような内容が同時並行で読んでいるカーネギーの本にもあった。

“愚か者は人生の贈り物がレモン(スラングで悪いもののたとえ)であるとわかると、あきらめ顔で「私は負けた。これが運命だ」などと言い出す。
賢者は自問する。「この不運からどんな教訓を学ぶべきだろう?どうしたら状況をよくすることができるだろう?」”

旅行と言えばこの夢をかなえる象を読んでからずっと実行してることがある。
教えの「寄付をする」と言うやつで、旅先で余った現地通貨は帰りの空港で寄付をするようにしている。
但し、ユーロと円以外だけど・・・・

なんや、俺ってちゃんとガネーシャの教え実行してるやん!?

あっ、「自分1つ2つ実行して調子乗ってる場合とちゃうんちゃう?」と言うガネーシャの声が。。。。

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うらおもて人生録  (色川武大著) [自己啓発]

落ち込んで元気がなかった時に会社の先輩が貸してくれた。
その人は仕事もすごく出来、尊敬してるのでどんな本だろう?と期待していたのだが、最初読み始めたときには正直「あ、これは合わないかも」と思った。
と、言うのも「劣等生対象」みたいな内容で、今までそういったたぐいの本は書店で見かけても全く興味を持てなかった。どちらかと言うと優等生側で生きてきたし。
逆にジャック・ウェルチとかビル・ゲイツとかは興味を持って読んでた。
ただ、せっかく借りたものなのでとりあえず読んでみよう、と。。。。

目が覚めた。
そのことで悩んでたのではないが、仕事で自分が何か足りないと思っていたことがそこにあった。
色川氏は若い頃ばくち打ちなので
>>曰く、人生は9勝6敗くらいになっている。全勝はありえない。その6敗の時にいかに掛け金を少なくし、9勝の時に大きく賭けるか。<<

確かに常に勝つことを考えていたけど、100%勝っているわけではない。 ただ負けをあまり認めてないかも、と思ったところ
>>曰く、負けっぷりが大事。ケガのないように負けて負けをオープンに宣言する。出来ればユーモアを交えて。しかも相手のいないところで。つまり相手を持ち上げる。<<

それは完全に出来ていない。プライドが邪魔してるかも。つまりそういうことをしていないので積み重ねた点数がない。

>>会社という組織では正しいことでもそれが通るとは限らない。従ってどんなに正しいことでも人を説得する場合、相手に点をやることが大事。<<

そう。会社なんてよっぽどの極少数の一流(規模でなく)でない限り、そういったつまらないレベルで組織されている。それは最近つくづく思っていたこと。ただ、正攻法でだめならいいや、って思いがあった。でも、正攻法で行けるところには限度があるんだよね。 で、しょせんその程度って考えると、敵(ってわけではないけど)に花を持たせるってことも社会では大事なことなのかもしれない。 大事を成すのに小事にこだわるべきではない、ということか。 やっぱり露骨なおべんちゃらとかは出来ないけど、自分が損するわけでなかったら相手に花を持たせることは別になんともないことなのかもしれない。

>>負けが続くときは自ら2軍に。楽に勝って勝ち癖をつける<<

「勝ち癖」というところは自分でも意識してきた。プラスのスパイラルって言い方をしてたけど。
ただ、自ら2軍にというところは今まで考えていなかった。 ここが劣等生の強みってやつか。

>>弱点には3つある。始末しなければならない弱点。始末をつけやすい弱点。始末するよりも別の点でカバーした方がよい弱点。<<
>>一病息災という言葉があるように、決定的な弱点でなければそれを生かす方がうまくいく<<

ここに関しては言ってることはわかる。ただ、自分のどの部分がどれに当たるか、というのはまだわからない。
これは今後の課題。

この前インタビュー対策で自分の強み・弱点を考えてたとき、強みはすぐに浮かんだが、弱点は1日考えて浮かばなかった俺って、多分どこか間違ってるんだろうな。。。。反省。

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