徳川家康   (山岡荘八歴史文庫) 24~26巻 [歴史]

ついに終わってしまった。
かなり寂寥感が・・・・
もっとゆっくり読めばよかったと少し後悔するくらい面白かった。

徳川家康は最後まで徳川家康だった。
土地・財産、さらには命まで神仏からの預かりものという信念で
「預かった者の使命」として最後まで泰平の世の希求を諦めない。
争いが起これば「自分に甘えがあった」として、さらに自分を律する。

例えば大阪夏の陣の後、秀頼・淀の方が自害した件も、
事前にあらゆる手で彼らを救おうとしていたのを、彼らが物事を見る目がなく、周りの諫言に踊らされた結果であるのに、
まだ自分には出来ることがあったのではないかと、天国の秀吉に泣いて詫びる。

とにかく徹底していて、信念が揺らぐことはない。
ものすごいことだと思う。
現在の我々は、どちらかと言うと、失敗があった時、達成できなかった時や評価されなかった時など、つい他人や状況のせいにしてしまいがちである。
「〇〇(人)がやるべきことをやらなかったから」「景気が悪いから」「上司がえこひいきする」などなど。
しかし、家康はそういったこともすべて元を正せば自分の過失・甘え・足りなさにあると考え、自分を叱責する。
ものすごくしんどい人生だろうな、と思う。
真似は出来ない。
ただ、
例えば
何かうまく行かないことに行き当たった時、一旦でも「家康ならどう考えたか」と言うことを考えることが出来たら、
例えば
今まで100%人のせいにしていた事を少しでも自分にも原因はあるな、と思えるようになったら、
争いは減り、人にも優しくすることが出来、さらには自分も成長するのではないだろうか。

ムリな話だとは思うが、世界中すべての国々や宗教がこのような考え方が出来れば、きっと戦争などない世の中になるだろう。
いや、権力者だけでもいいのだ。
家康の時代にも伊達政宗や真田幸村など「人がある限り争いはなくならない」と言う信念を持った武士はいたが、家康の築いた権力と武力がその後の100年にわたる泰平の世を造ったのも事実である。

26巻と言う長編ではあったが、非常に面白く、印象としてはあっという間に読んでしまった感じである。

ただ、どうしても謎だったのが、あれだけ節制・節約に努め、日本一の大御所とは思えないような粗末な食事をしていたと言われている家康が、なぜあれだけ太っていたかと言うことである。

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徳川家康   (山岡荘八歴史文庫)  13~23巻 [歴史]

~23巻

あまりに面白いので、気付けばもう23巻である。
あと、3巻で終わりと思うと「もうすこしゆっくりじっくり読めばよかった」と、少しさみしい気もする。

ともあれ、秀吉天下統一~朝鮮出兵~家康ほぼ天下統一(関が原)まで

以前にも書いたが信長・秀吉・家康のキャラクターが全く違って非常に興味深い。
多分、一緒にいて楽しいのは圧倒的に秀吉である。
まず、根がとにかく明るい。
稀代の弁達者で弁によって人を欺くと言う面があるが、それも天性の明るさによるものが大きい。
騙された方も許してしまうくらいの器量があるのだ。
感情豊なところも周りから好かれる要因だろう。
実際、わが地元京都や関西ではいまだに秀吉が一番人気だ。
確かに家康が関東人、秀吉が関西人と言う感じはする。(実際には秀吉は中部人だが)

ただ、秀吉は「次のステップ」に進めなかった。
信長が基礎を築いた天下統一の夢を引き継ぎ、実際にほぼ天下統一まで成し遂げたのは秀吉だが、その後、朝鮮出兵という晩名を汚す暴挙に出てしまった。
つまり、戦の世の感覚を捨てきれず、国内に敵がいなくなった為、外に敵を求めてしまったのだ。
結果、散々の失敗に終わったと同時に少なくともこの本では、後の光秀 vs 諸大名の確執の要因ともなってしまっている。

一方、家康は天下統一後、「泰平の世」へのシフトチェンジを見事に行い、
後の大阪夏の陣・冬の陣などは、泰平の世へシフトチェンジ出来なかった「前世代の残党」との戦いの様を呈している。
これは家康が、どちらかと言うと“乗り”で一気に事を進める秀吉に対し、1つ1つ慎重に考え、吟味しながら事を進めるタイプであった為に成し得たのかもしれない。

確かに“乗り”の場合、乗っている時や勢いのあるときには誰にも止められないが、一度歯車が狂い始めると、逆に歯止めも利かないと言うことはよくある話だ。

こういったことを含め、この本は、下手な成功本よりも成功する為には何が必要か、またそれぞれの段階で注意しなければいけないことはどういったことかが明確に描かれているのではなかろうか。

自分に置き換えてみると、(あくまで決められた枠の小規模な話だが)昨年は信長~秀吉の時期だったように思う。
会社を替わり、日本に対してある程度強引に事を進めたこともあり、一部では面白くない思いをした者もあるはずだ。
そしてとりあえず文句を言えない結果を示せた後は、上から目線にならない様意識し、変化を促す方向にシフトを変えた。
偉そうな言い方で怒られそうだが、実際今年は体制も変わり、意識もかなり変わってきた様に感じることが多い。
と、なると今年はこの変化を定着させ、更なる結果を出さなくてはならない。
その際には秀吉~家康への意識の変化を自分自身にも課さなければならないのではないだろうか。
** もちろん、これは「自分に置き換えた場合」の話で、天下統一したわけでもそういった偉そうな立場でもないのでご了承を。

さてさて、性格的に家康になるのはなかなか容易ではなさそうだ。

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徳川家康   (山岡荘八歴史文庫)  6~12巻 [歴史]

信長天下統一 ~ 本能寺の変 ~ 秀吉天下統一 まで

少しイメージが違って意外だが、この本では信長・秀吉・家康と共通して「平和への希求」「民への平安」という
目的を持っている。
そこが、ただ領土の拡大や利権を狙って小競り合いを繰り返している小大名と違い、またその志の強さが
彼らをして天下統一を成さしめた(若しくはその礎を築かせた)1つの要因となっている。

その同じ目的の中で、信長はそれを天下布武によって成そうとし、秀吉は人身掌握によって、そしてまだ12巻の時点では描かれてはいないが家康は堪忍によって成し遂げる。
そう考えると、本当に「ほととぎす」の話はうまく言い表しているなぁ、と思った。

信長は特に「野望」や「力」等のイメージが強く、また比叡山焼き討ちなどの「暴挙」も行っているので、
どちらかと言うと「平和」や「民」と言うイメージは沸かない。
しかし、よくよく考えてみると比叡山焼き討ちにしても当時の僧侶は武力集団であって、政治にも介入し、一揆を先導したりなどもする。
信長はそれに対して武力を示したわけで、この作品中にもあるが「私的理由によって僧侶に暴力をふるったことはない」のである。
ちなみに、この言葉は家康に息子と正室である信康・築山御殿の殺害を信長が命ずる際のもの。 と、いうのも信康は癇癪持ちで、カッとなると見境がなくなり、ある僧侶も信康に忠言したことから、縄につながれ馬で引きづり廻して殺してしまう。 それに対する信長の言葉。
しかし、信康。築山御殿の件は悲劇として描かれているものも多いが、この本に書かれていることが史実であれば、両名の成敗はやむを得ない気がする。

話は戻るが、この大志ともいうべき志は現在にも通じているのではないだろうか。
大きなことを成す人は、私利私欲でなく、大きな世界で物事を考えている。
例えば、日本中を明るくしたいと言う信念でパナソニックを創った松下幸之助しかり。
そう考えると、これだけの事を成した人たちがそういった万民の幸福を考えていないわけはないという気がする。
予断だが、今同時平行で松下幸之助の本を読んでいるのだが、すばらしく謙虚で大きい。

信長没後は秀吉中心で描かれるのだが、老獪且つ策謀の人なのに、何か憎めない。
どうやら根っからの明るい性格であったようだ。
同じ様な事を明るくない人がやると、周りから信望を得られなかったりするのは後の光成に当たるであろうか。
とにかく、からっとしていて、やはり大きい。
信長や、ましてや家康に比べればかなり欠点があるように思え、ご存知のようにかなりの女好きでもあるのだが、それを補って余りあるほどの智謀と明るさがあるのだ。
規模は全く違うが似たような人が周りにもいるような・・・

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徳川家康   (山岡荘八歴史文庫) 3~5卷 [歴史]

読み応えがあって実に面白い。

信長が足利義昭を奉じて京へ上り、浅井・朝倉を滅ぼすまで。

信長と家康が全く好対照、方や感情を前面に出し、周りを威圧する(その実、冷静に判断し、緻密な計算もしているのだが)信長と感情を表に出さず、常に年齢以上に落ち着いていて、沈着冷静な家康。
見た目にも細く引き締まって凛々しい信長、小太りでおっとりした印象を与える家康とこれも対照的である。
にもかかわらず、お互い唯一と言えるほどお互いを認め合い、同盟ながらも静かな争いを繰り広げる。
例えば浅井・朝倉攻めの際も、信長は信長軍を最前線として計画を立てているのに対し、家康は自軍が第一陣として朝倉に対することを主張する。
これは、心理的に家康を家臣と見せたい信長と、あくまでも家臣ではなく同盟者として、そしてこの戦いで自軍の力を信長に見せておきたい家康との心理的駆け引きなのである。
最後はあの信長が自身の計画を変更するのだが、その間の駆け引き、否と言わせない完璧で正当な論理展開など、非常に読み応えのあるシーンでもある。

その様な唯一信長に意見を言う家康が女性の扱いは下手であるのがおもしろい。
正室である瀬名(築山御前)は全く扱え切れていないし、手をつけてしまう女性や側女の扱いがまったくもって下手なのである。
妙に気を遣ったりやさしくするため、必要以上に相手の心を動かしてしまったりするのである。
奥さんに「あんたのやさしい態度が誤解を生むのをわかってるの?」と言われた親友の顔が浮かんで、思わずにやけてしまった。

全26巻、このペースだと早々に読み終えそうな感じである。
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徳川家康   (山岡荘八歴史文庫) 1~2巻 [歴史]

年末年始ということもあり、徳川家康全26巻に挑むことにした。
注意すべきは友人から借りているのだが、その友人が1年弱後に帰国する予定なので、
それまでに読み切る必要がある。
1か月2巻ペースだと13か月かかってしまうので、2・5巻のペースで読まなければならない。
まぁ、なんとかなるだろう。

2巻は竹千代(家康の幼名)人質の様子と、信長が父・信秀の葬儀の際、位牌に香を投げつけるまで。
どちらも、ページ数を気にすることなく詳細が書かれているので、有名な話であるが、かなり新鮮な部分も多く、とても面白い。
また、短い本では書ききれない背景などもあり、飽きることなく読むことが出来る。
ちなみに12月7日から読み始めてすでに2巻終わったので、今月は3冊行けるだろう。

読書感想は適当に切りのいいところで書くつもり。
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義経になった男 全4巻   (平谷美樹著) [歴史]

タイトルの通り、義経とその影武者の物語。
もちろんフィクションとなっているが、吾妻鏡など史実に基づく部分も多く、
あり得ない話ではない。
と、言うかすべての歴史小説は史実として残っている部分以外は想像でしかなく、
誰も真実を知っているわけではない。

以前読んだ「本能寺の真相」でも、歴史学者の欠点は証明するものがないものは
認められないこと、と書いてあった。
そもそも、当時の公家の日記など「史実」とされるものも、かなり都合のいいように
書かれていたり、時の政治において都合の悪いところは切り取られていたり、かなり怪しい。

義経に関しては、よく知られているように、奥州平泉で最期を遂げたとされているが、
実はその後も生きていて北へ向かったというものや、大陸に渡ってチンギス・ハーンになったと言うものまで
諸説ある。
「戦の途中、鎧を何度か着替えていた」と言う記載が残っていることからすると、この小説で描かれている
影武者と言うのもむしろいたであろう確立の方が高いのではないだろうか。

それにしても、義経に関してはさまざまな小説や、歴史書があるが、どれもこれもあまりにもせつない。
輝いていたのはほんの刹那、しかも戦場でのみ。
間違いなく平家を滅亡させたのは義経の功績が一番大きいにもかかわらず、頼朝の扱いたるやひどいものである。
その結果、自分の郎従にも褒美や勲章を与えられず、後白河法皇にはそこをうまく利用され。。。
頼朝はやはり義経を恐れたのだろうか。
ただ、追い込むことで義経が奥州藤原氏と手を結んだら当時勝てなかったかもしれないことを考えると不可解である。
それとも義経は肉親の情に縛られ何も出来ない(実際そうだったのだが)と読みきっていたのか。

本作は今まで数多く書かれている義経の話ではあるが、すべてその影武者からの視線・視点で書かれているところが新鮮で、周知の話である部分であっても飽きさせない。

全4巻であるが、面白くて一気に読み進めた。

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「本能寺」の真相   (姉小路祐著) [歴史]

前回の坂本龍馬に関するノンフィクションに対し、こちらは埋蔵金の記事を持った男の死から始まるフィクション。

埋蔵金の記事を持った男に続き、光秀縁者の子孫を名乗る男が死に、そこに家康子孫の男が浮かび上がる。
ある新聞記者がその2つの死を調べるうちに戦国時代の大きな謎に辿り着く。
光秀は一般的には京都・山崎のいわゆる「明智藪」で農民に槍で殺されたということになっているが、
実は死んでいない、と言うのだ。
そして、本能寺の変の後の秀吉と家康の不可解な行動。。。。

坂本龍馬とフリーメーソンの関係を書いたノンフィクションに関して、「ノンフィクションと思うと??と言うところが多いが、物語と思えば面白い」と
書いたが、こちらは間逆。
フィクションと言いながら、歴史上の謎解きはすべて証拠が明示されているのだ。

例えば比叡山坂本の西教寺の南に日吉東照宮がある。
この日吉東照宮は家康の日光東照宮の試作品と言われているのだ。
坂本と言えば言わずと知れた光秀のお膝元。
そこに何故家康の東照宮に関わるものがあるのか。

さらに日光東照宮、陽明門の侍座像の膝には光秀の桔梗のご紋があり、また東照宮の鐘楼は当然の如く瓦には徳川の葵の紋なのだが、
庇の裏にはぎっしりと桔梗の紋が描かれているのだ。

また、岸和田の本徳寺にある光秀の位牌。
「当寺開基慶長4年」つまり本能寺の変の17年後にこの寺を光秀が寄進したことになっているのだ。

その他にも美山の光秀の墓には「享年75歳」と言う碑があり、比叡山の塔頭にある石碑には「慶長20年2月17日 願主光秀」の文字が刻まれているなど、
光秀が本能寺の変後の天王寺の戦いで死んではいない証拠が多々あるのだ。

そしてすごいのはその証拠のある場所が明記されているだけでなく、それぞれ写真も文中に添付されているのである。

確かに本作中にも書かれているが、当時、農民が本能寺の変やそれに続く天王山の戦いを知っているはずがなく、ましてや光秀の顔を知っていることはほぼあり得ない。
現在の様にインターネットやTVニュースなどないのである。
そしていかに逃走中と言えど、「武士」である光秀がそう簡単に農民に殺されると言うのも考えにくい。

光秀が「死んでいない」と言う証拠の他に、本能寺の変の後の秀吉と家康の不可解な行動や、
徳川と光秀の関係なども、すべて証拠つきで記述されている。
それにあの時代、親の名前の一部を子が継承するのが基本(例えば信長-信康など)であるのに、徳川2代将軍は秀忠、3代は家光なのだ。
確かに家光には「家」の字があるが、光秀は2代・3代共に入っている。

とにかく、面白く、寝るのも忘れて一気に読んでしまった。
時差ぼけもあって、読み終えた頃には朝4時であった

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山霧 毛利元就の妻 上下   (永井路子著) [歴史]

戦国武将の元就ではなく、おっとりとした田舎者感さえ漂う、若き日の元就とその妻「おかた」の話。

中国地方を制定した元就の武勇伝などは一切ない。
小さな城と領土しか持たない毛利家、及び元就の、当時中国地方で勢力のあった尼子氏・大内氏の間で右往左往する、まるで現在のサラリーマン的な話を中心に物語が進んでいく。

当時の中国地方を想像するに、きっと実際こんな感じの田舎者だったのだろうなぁ、と。

女性作家ということもあるのかもしれないが、戦闘シーンも少なく、あっても武勇たくましく、と言うものではなく
裏工作が多かったり、無理やり駆り出されてやる気がなかったり、と言った感じだ。
ただ、この永井氏は歴史研究家も認めるほど歴史に詳しい方のようで、実際の当時の戦闘はこの様なものだったのだろうと思われる。

上下2巻であるが、全編その「右往左往」の時代に終始しており、中国の雄として成り上がっていく様子はほとんど記載されていない。
「なるほど、将来中国地方を制していく人物なわけだ」と思わせる様な雰囲気もエピソードもない。
よって、戦国武将の台頭と言うような内容を期待している人にはかなり物足りないかもしれないが、
戦国武将の実像という観点から読めば非常に面白い。

同じ「中国」だからとは思わないが、三国志など中国の物語と同様、かなりいろいろな人物が登場してきてややこしい。
特に前半部分。
しかも、地方の話なので例えば信長の話で出てくる義元や秀吉と言うレベルではなく、元就以外はかろうじて小早川くらいがよく知られた家という程度なので、かなり覚えにくい。
誰やねん、君は?という感じである。
さらに、この時代、実親や烏帽子親の名前の一部をもらうので、やたら似た名前が多いのだ。

後世のことを考えて名前をつけてもらいたいものである。

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三国志 曹操伝 上・中・下   (塚本靑史著) [歴史]

正直言ってかなり難しかった。

まず、これは中国史共通なのだが似たような名前(しかも読めない)がかなり出てくる。
そして、この本はかなり歴史の描写に細かい。
著者は中国史の研究科かなにかではないだろうかと思って巻末の著者の説明を見たが、研究家とは記載されていないが中国史に関する話ばかり書いており「専門家」には間違いないようだ。

ただ、もともと三国志が好きなこともあり、やはり面白い。
三国志と言えば蜀の劉備・関羽・張飛・諸葛孔明の物語が多いが、この本はタイトル通り「乱世の姦雄」曹操を中心とした詳細な話だ。

個人的には以前はやはり劉備の蜀ご贔屓だったのだが、だんだんと曹操派になってきていたので興味深く読むことが出来た。
しかし、曹操に関する本を読むといつも思うのだが、彼の聡明さは軍師以上だ。
No.1の軍師、諸葛孔明と堂々と渡り合える英雄なのである。
武力・統率力・知力とこれだけ揃った英雄は他に類を見ない。
さすが中国 である。

その曹操の最期があのような形とは、何とも以外と言うか、逆に曹操らしいと言うのだろうか。

面白かったのはこの曹操の魏の書物、世界史の試験などにも出た「魏志倭人伝」などと言う書物は存在しないそうだ。
ただ単に、歴史書「三国志」の中の「魏書」の項の中のさらに「東夷伝」という項目に記載された倭人の記載をそう呼んでいるらしい。
存在しないものを試験に出されていたなんて・・・・・ 
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利休と秀吉   (邦光史郎著) [歴史]

日本の状況が状況だけに、なかなか遊びに行く気分にもばれず、1日ニュースを見たり本を読んだり。

この前「利休にたずねよ」があまりにも面白かったので、先日日本帰国時に見つけて即購入。
ただ、読み終わった感想は「誰が主人公だろう」ということ。
個人的には映画にしても本にしても軸がぶれないものが好きなのもあり、どこに焦点を当てているのかわからなかった。
本来タイトルからすると利休と秀吉の心と心の戦いかと思ったが、あえて言うと織田家の生き残り有楽斉が主役?とも思った。

あと文章も同じ説明の繰り返しが何度かあったり、あまり読みやすいものではない。
但し、史実を淡々と追うにはよいかもしれない。

この本を読んでいると利休の切腹はいろいろ言われているが、単純に政治に関わりすぎたことかなとも思う。
この時代の茶堂と言う立場から仕方のないことかもしれないが、天下人である秀吉の相談役みたいな立場になるので、おのずと各大名がすり寄ってくる。
そして権威だけではなく権力も持ってしまう。
その中で地位を極めた秀吉と文化を極めた利休の意見があわなくなった結果としては、どちらかの死以外あり得ないのかもしれない。

それにしても毎回思うのだが、北野の大茶会と醍醐の花見は出てみたかった。
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