武士道 (新渡戸稲造著) [その他]
武士道の中の勇気と言う項目に次の文言がある。
「勇気の精神的側面は落ち着きである。(中略)まことに勇気のある人は、常に落ち着いていて、何事によっても心の平静さをかき乱されることはない。彼らは戦場の昂揚の中でも冷静である。破滅的な事態のさなかでも心の平静さを保っている。地震にもあわてることなく、嵐に立ち向かって笑う。
私たちは危険や死を眼前にするとき、なお平静さを保つ人こそ立派な人として尊敬する」
まさに今の日本ではないか。
震災当初各国のメディアがこぞって日本人の礼儀正しさ、混乱の中でも秩序を保つことに驚きのニュースを流していたのを覚えている方も多いだろう。
つまり、我々日本人はいまだもって「武士・サムライ」なのである。
文章は当初、旧日本文で読み辛いと予想していたのであるが、それとは全く別の意味で非常に難しかった。
意外なほど、外国文学や文化、詩などの引用が多いのである。
例えば
「ニーチェの尊大で自我中心の親方道徳はある意味で武士道と似ているところがある。もし、私が大きな過ちを犯していないとするならば、この道徳はニーチェが病的な歪みのためにナザレ人の道徳を謙虚で自己否定的な奴隷道徳と名付けた。それに対する過度的な現象、あるいは一時的な反動の結果である」
むむむ・・・難解である。
後で解説を読むと、なるほど、新渡戸氏はこの本をアメリカ滞在中に37歳の時に英文で書いたそうだ。
アメリカで出版された後、賞賛を得、ポーランド・ドイツ・ノルウェー・スペイン・ロシア・イタリア語版が次々と出版されたという。
1898年のことである。
もうすごいとしか言いようがない。
「勇気の精神的側面は落ち着きである。(中略)まことに勇気のある人は、常に落ち着いていて、何事によっても心の平静さをかき乱されることはない。彼らは戦場の昂揚の中でも冷静である。破滅的な事態のさなかでも心の平静さを保っている。地震にもあわてることなく、嵐に立ち向かって笑う。
私たちは危険や死を眼前にするとき、なお平静さを保つ人こそ立派な人として尊敬する」
まさに今の日本ではないか。
震災当初各国のメディアがこぞって日本人の礼儀正しさ、混乱の中でも秩序を保つことに驚きのニュースを流していたのを覚えている方も多いだろう。
つまり、我々日本人はいまだもって「武士・サムライ」なのである。
文章は当初、旧日本文で読み辛いと予想していたのであるが、それとは全く別の意味で非常に難しかった。
意外なほど、外国文学や文化、詩などの引用が多いのである。
例えば
「ニーチェの尊大で自我中心の親方道徳はある意味で武士道と似ているところがある。もし、私が大きな過ちを犯していないとするならば、この道徳はニーチェが病的な歪みのためにナザレ人の道徳を謙虚で自己否定的な奴隷道徳と名付けた。それに対する過度的な現象、あるいは一時的な反動の結果である」
むむむ・・・難解である。
後で解説を読むと、なるほど、新渡戸氏はこの本をアメリカ滞在中に37歳の時に英文で書いたそうだ。
アメリカで出版された後、賞賛を得、ポーランド・ドイツ・ノルウェー・スペイン・ロシア・イタリア語版が次々と出版されたという。
1898年のことである。
もうすごいとしか言いようがない。
お邪魔いたします。
このような武士道を極めている方は、ある意味悟りを開いた僧侶のようですね。私は地震にオタオタしてます。
by ガンガンガン速 (2011-04-28 10:17)