存在という名のダンス 上・下   (大崎善生著) [小説]

大崎善生は好きな作家の1人で今まで「パイロットフィッシュ」「アジアンタム・ブルー」「九月の四分の一」「別れの朝の静かな午後」など、読んでいる。
中でも事実を描いた「ドナウよ、静かに流れよ」は事実だけに衝撃で、非常に感銘を受けた作品の1つ。
ただ、かなり暗く思い話である「ドナウよ、静かに流れよ」を含め、どこか静かでやさしい内容であった気がする。

ところが、今回の「存在という名のダンス」は同じ人が書いたとは思えない激しさ。
人間の狂気が主題であり、憎しみ・怒りの誇張、その結果の狂気が描かれている。
人間の残虐性を描く場面では、五島のキリシタン弾圧、ナチスのユダヤ人虐殺など史実に関する記述があり、顔をしかめずにはいられない。
特に五島のキリシタン残圧の描写はひどい。
ユダヤ虐殺に関してはもちろん信じがたい人間の残虐な行為があったわけだが、映画・本・TVなど様々な媒体で語られている為、既に知っているが、日本の五島でこの様な史実があったことは知らなかった為、かなり衝撃的だった。
そして「存在というダンス」の指す意味。そのダンスとは。。。。

物語はそういった史実と架空の世界、時空間を超越した話であり、下巻はやや空想的過ぎる様に個人的には感じたが、それでも読み出したら止まらなくなり、一気に読み終えた。

ナチスはもちろんだが、人間の狂気を増幅する「存在」である怪物ゲルミナンド・ヘステはあきらかにドイツ名だし、また物語のモチーフの様になっている「ハーメルンの笛吹き男」は実際にあるドイツの伝説、それも恐ろしい伝説である。
偶然ではあるが、それをドイツで読んでいると、やはり物語との距離が近づく様な気がする。

そういう意味で、ドイツではないが、ルーマニアを中心とする東欧を舞台とした「ドナウよ、静かに流れよ」は日本にいる時に読んだきりなので、再度読んでみようと思う。

しかし、それにしてもこの人間の狂気、残虐性はいったい何なのであろう。
本当にゲルミナンド・へステがいて、それを解放する存在がいるのではないかと思えるほど、恐ろしい。
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